人生は無意味です。

だから「頑張っても意味がない」のか。
だから「頑張って意味を生む」のか。

どちらも論理的につながります。

僕はできれば後者を選びたい。
そう思っています。
ちょっと待ってくれ、無意味だったら頑張る気力が湧いてこないし死んでしまった方が楽なのではないか、そう思う人もいるかもしれません。
確かにそう思うのももっともなので、もう少し文脈を補足します。



「人生は無意味。だから頑張る、頑張らない」が意味するところ


「人生は無意味」の意味


まず、人生は無意味の意味からです。

人生は無意味とは、現実世界においては、神が何か目的を決めていてそこに近づくのが意味だ、みたいなものはない、と考えているということです。

蟻が踏み潰されても、世界は何も変わらないのと同様に、
僕がいなくなっても、世界は何も変わらない。

これは事実です。
虫や動物の一生に、人間である僕らがそれらに元来備わっている意味を見出せないように、人間の一生に、元来備わっているような(宗教的なといってもよいかもしれません)意味がないと考えるほうが自然だと思うのです。


「元来」無意味なことに「後天的」に意味を付加していくこと


次に「元来」意味が無いことと「後天的」に意味を付加していくことについて論じたいと思います。


人生に「元来」意味が無いからと言って「後天的」に意味が付加できないことにはなりません。むしろ論理的に考えると意味は「元来」ないのだから、「後天的」にしか付加できないのではないでしょうか。

僕の町に台風が来たこと、彼に宝くじが当たったこと、彼女に病魔が襲ったこと、これらに「元来」意味は無く、ただ現実の様々な状況が絡み合って生じたさらなるひとつの現実に過ぎません。
しかし、「後天的」に意味をつけられるのです。
「台風が来たのは、僕の町には防災機能がなかったからつけたら更なる災害に耐えられるようになるからだ」「宝くじが当たったのは、今まで苦労していたのを楽にしてくれるためだ」「病魔が襲ったのは、今の人生の尊さを感じるためだ」のように。


頑張ることに「意味がある」と考える脳、「意味がない」と考える心理


最後に頑張ることに「意味が無い」のか「意味がある」のかについてです。
前述したようにそもそも意味は後付けするものです。意味があると考えるのは人間の脳です。すると考える方向は逆になります。
「意味がある」と感じたいのであれば、脳が「意味がある」と感じるためには何をすればいいのかを考えることになります。
そのヒントは前にあげたVRIO分析にあります。
価値(意味)は市場の需要や希少性、模倣困難性によって決まります。


「イケハヤおススメの「悩みどころと逃げどころ」感想~貴方だけの武器は要領の良さから生まれるのではない~

求められる存在になったり、希少な存在になったり、模倣困難な存在になったりするにはどうすればいいでしょうか。

人よりも歌がうまいだとか、人よりも知識があるだとか、そんな感じだと思います。
それは天性の才能が無い限りは「頑張る」ことでしか得られません。

なので「意味を生む」には「頑張る」ことが必要になるのです。
すなわち「頑張って意味を生む」のです。

逆に「頑張っても意味がない」と考えるということは、「意味がない」と思いたいので頑張らないか、「頑張りたくない」ので意味が無いと思っているのか、どちらかか両方だと思います。

人間含めた動物は怠惰なのでこの心理的な穴にはまります(良い悪いは別にして)。
こういう心理的な罠があることをわかって頑張らないのとわからず頑張らないのとでは年老いてからの後悔具合が変わってくると思います。


僕が思う、「無意味な人生」でも「頑張れる」し、充実感を覚えられる方法


この記事を読んでいる人の多くは、「人生は無意味で頑張ってもしょうがないのではないか」と思っているのではないでしょうか。
しかし一方で「実は頑張りたい気持ちもある。しかし無意味な人生でどう頑張ればいいのかわからない」という悩みも抱えているのではないかと予測します。
なぜならば、検索エンジンにキーワードを入れて、この記事をクリックしてここまで読んでいるということは、変化を起こす何かを求めている可能性が高いと推測されるからです。


僕が思う「無意味な人生」でも何故か充実感を覚え、楽しいと思える毎日を過ごせる方法のとっかかりは「なんでもいいから動くこと」だと思っています。


あなたが少しでも楽しいと思えることはなんですか?少しでも美味しいと感じる食べ物は何ですか?一緒にいると明るくなれる人は誰ですか?


その状況に近づけるように動いてみて下さい。
人生は無意味だと「脳」が思い込んでいても、「身体」は本能的に快楽を求めます。


「脳」で意味ある、意味ないを考えていても、物事が変化することは稀です。
順番を変えて、「身体」を動かすと物事も変化します。
物事が変化すると、脳が意味があるとみなしてくれることが多いです。

「結婚して子供を生み育てること」は「脳」にしてみれば、「自分や社会になんの意味があろうか」と容易に考えられますが、案外、「身体」はそれで満足したりします。

「なんでもいいから動くこと」から始めると、「身体」が快楽を求め、「脳」が勝手に意味を見出し始めて、徐々に勝手に自分が「頑張って」くれます。
だから「なんでもいいから動くこと」はいいとっかかりです。

以上が人生は「頑張っても意味が無い」のか「頑張って意味を生む」のか、どうすれば無意味な人生で良く生きられるのかに関する僕なりの考察になります。


なお、僕の考え方は西洋哲学の実存主義派、ニーチェとかの影響を大きく受けていると思います。
「知は力なり」とはよく言ったもので、こういう考え方を知っているか否かでも人生の対処の仕方は大きく変わると思います。
ニーチェの本をまずは呼んでみてください。無意味な人生を楽しく過ごすために、「とりあえず読む」ことから始めてもいいかもしれません。



以下の記事も興味があれば是非。


さらばブルーマンデー。月曜からの仕事が憂鬱なあなたへ、ニーチェの言葉から勇気をもらう日曜日の夜。
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